サイトアイコン 受験奮闘記”でこぼこ日記”

音楽の授業の話

リズムのやつについて

最近私は思った。音楽の時間、どうしてリズムの取り方を学習するために、よくわからない言葉を全員で復唱させなければならないのか、と。

たとえば♩♩休♩だとスリッパみたいな、♩休♩休だとモップみたいな感じで、リズムを言葉に置き換えて、全員で読まされることはありませんか。全員で復唱する時はなんとも言えない雰囲気になり、羞恥心に襲われるものである。(私だけなのだろうか)

【ピアノ入門】リズムは楽しく、よく使う言葉がわかりやすい。
音符を「タン」や「タタ」「タッカ」などでリズムを歌った事はありませんか? これを言葉に当てはめます。 1拍の長さを表すものを馴染みのある食べ物にしました。 食べ物を並べただけではリズムに繋がらないですね。 言葉と音符の図 ...

↑こんな感じ

確かにリズム感の入りとしては良いのかもしれない。ただこれをするのはとても恥ずかしい。それに、「わざわざ全員で読むこともないじゃんか」とも思う。正直自分一人でつぶやく感じでいいと思う。強制的に全員で復唱させるのはおかしいと思うのだ。

この動作は本当に必要なのだろうか。「タンタン言ってりゃよくね?」とも思うのだが。わざわざ言葉に置き換える必要性があまりわからない。もしくは、机を叩けば良いと思う。どうだろうか。

勉強の入りとして、軽くやったあとは、手を叩いたり、机を叩いたほうが確実にリズム感の習得という面では良いであろう。私たちが無理して恥ずかしい思いをする必要はないのだ。

そもそもリズム感というのは音楽の要素の一つであり、全てではない。よって、音楽を学ぶ上では必要かもしれないが、「音楽」という教科の目的である

表現及び鑑賞の幅広い活動を通して,音楽を愛好する心情を育てるとともに,音楽に対する感性を豊かにし,音楽活動の基礎的な能力を伸ばし,音楽文化についての理解を深め,豊かな情操を養う。 – 文部科学省

第2章 各教科 第5節 音楽:文部科学省

を満たすためには、必ずしもリズム感は必要ではない。したがって、わざわざ強制的に学習させる必要もないのではないか。やりたい人だけがやれば良いのではないか、と思ってしまうのだ。

昔の日本では、歌を詠む時に5・7・5・7・7の三十一音で基本的には構成されていて、これはリズムなのかもしれない。だが、字余りなども認められており、リズム感よりも言葉の響きを大切にしているのだと思われる。

近代のアメリカのジャズ調やロック調においては、リズム感は重視されているように見えるかもしれない。だが、これはリズムを「いい感じ」にすることが目的である。

「『いい感じ』にするためにはリズム感が必要だ。矛盾しているではないか。」という人もいるのかもしれないが、それは、鶏が先か卵が先かの問題と同じだ。気になる人は調べてみることをお勧めする。

リズムを知ることで更なる音楽の楽しみ方が広がるという点では否定はしないが、やはり私にとって全員でこのわけのわからない文言を復唱させるというのは恥ずかしいものだ。

改善して欲しいものである。

以上、読んでくださってありがとうございました。

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