【本を読まなくてもできる】かんたん読書感想文の書き方(各種感想文もあるよ)

つぶやき

皆さん方が一度は目にしたことがあるであろう感想文のシート。


↑作文が描きたくて描きたくてしょうがない禁断症状がてている方は是非どうぞ。

やっと楽しいイベントが終わったと思ったら、いきなり担任が何かを配り始め、絶望する。

夏休みも最終日になりつつあるとき、宿題の中に紛れ込んでいるヤツを見つけ、発狂する。(Gではない)

このように、楽しいイベントの思い出を汚すこいつらは、害悪以外の何者でもありません。(偏見)

そこで、私たちは考えます。ネット上で感想文の書き方を調べてパクれば良いのではないかと。

ただそこで一つ問題が。ネット上の「読書感想文の書き方」を書いている人は、八割方がクソ真面目な優等生たちです。

いきなり、「感想文は序論、本論、結論で構成されています。序論は本の内容について書きましょう」なんて言われてもいまいちわかりませんよね。(わかる人はいいですが。)

今回は、圧倒的不真面目な私が「どんなにつまらないクソ本」でも「どんなに面白くないイベント」でも「イマイチ覚えてないイベント」でも「読む気にならなかった本」だろうと書ける感想文の書き方を説明しようと思います。

読書感想文の倒し方

長期休みの課題として出されるアレです。大変ですよね。そんな怒りを糧に頑張って書きましょう。

倒し方其の一

物語文にしろ、説明文にしろ、随筆にしろ、何かのストーリーが存在します。

(説明文は想像しにくいかも知れませんが、現実がストーリーであると考えましょう。)

そのストーリーにおいては何かが起こります。その何かが起こらなかった世界線を考えて、妄想を語りましょう。

例)ドラえもん

のび太が異常に頭が良かったなら、ドラえもんはのび太の心の支えとしての一面を強く出すと思われる。


私は、ドラえもんという物語を、精神的にも幼いのび太たちが町中で暴れまくる日常を描いた物語であると考える。劇場版にて成長したいつもと違う一面を見せることで、そのギャップに「かっこいいなぁ」となるわけである。また、いじめっ子とされるジャイアンでさえ優しい一面を持っており、人間の性善説を示していると考えられる。これは一種の教科書であり、私たちは幼少期にこれを読むことで学校で健全にやっていくことができるのである。

ここで一つ、物語中でののび太はドジでノロマで...といった生態を見せるが、のび太が某劇場版にはあまり出てこない優等生さんDのように、なんでもできる完璧な生命体だった場合について考えてみよう。

原作では基本的に、ドラえもんに泣きついたのび太をドラえもんが慰め、ドラえもんがその道具でのび太の夢を叶えるという構造になっているが、ここで仮定されたのび太はなんでもできるため、ドラえもんに泣きつくことはなくなるであろう。

そうすれば、ドラえもんはのび太のことを大切に思い、慈しむという一面が強く出て、さらに優しいロボットとなるのではないか。と考える。

つまりはハッピーエンドである。

ただ問題は、現実はそんなにうまくいかないのであり、つまずくこともあるのであろう。そうして、今よりもっと現実的な物語になるのかも知れない。

それならば、どうして、このようにキャラクターのイメージを極端なものにしたのであろうか。例えば、ジャイアンは歌が下手だったり、のび太をいじめていたり…

それは、ドラえもんという物語が子供向けであるからだと思われる。

子供は感受性が高いと言われているため、なにごとも壮大に感じるのだ。そのなかで、いつも通りの物語を与えると、どうなるだろうか。

もちろん、他の日常の中に埋もれてしまうであろう。だから、この物語はこのような構成になっていると考えられる。

物語はパラレルワールドであり、幾つもの世界線が存在するとかいう人もいる。それならば、もしかしたらのび太の頭が良くて、某劇場版にはあまり出てこない優等生さんDのような立ち位置で、しずかちゃんと仲良く勉強会を開く世界線も存在するのかも知れない。

この物語はとても面白い。初心にかえってもう一度読んでみることをお勧めする。

こんな感じになります。説明文なら、こういう点はどうなのであろうか、こういう仮定をすると、こうこうこういうふうに説明できる。とても気になったので、自分でも調べてみたい。などと書くと良い。

また、随筆なら、この作者がこういう人生を辿ると、このような人格が形成されたのだろうか。自分ももう一度、人生の歩み方について考え直してみたい。などと書くと良い。

論説文は、この書き方をしない方が良いかも知れない。

評論文は、評論されている文章について、このやり方を試しましょう。

倒し方其の二

感想文は感想の文です。

文章を分けて、作文の中ではこの文について私はこう思う、この文について私はこう思う。この文については、先ほど挙げたような点と同じである。みたいなかんじでかくと、一応マスは埋まります。評価はあまり高くないですが。

倒し方其の三(知識でゴリ押す)

文章のテーマになっているワードをgoogleで検索します。

そして、この点についてはこういったふうになっているらしい、この点についてはこうなっているらしい。と書き続ければ埋まります。

文頭は

私はこの文章を読んだが、このテーマについて私は詳しくないので、内容理解のためまとめようと思う。

このテーマについて、本文の中ではあまり説明がされていないので、自分でまとめておこうと思う。

などと書くと良いでしょう。

文末は

このように、本文で挙げられているテーマには、こういった一面も存在する。この点を踏まえて本文をもう一度読んでみると、また新しい視点が得られるのではないかとも思った。

と書くと良いでしょう。

先生はこの書き方に対して文句を言えないはずです。多分。

例)水の東西

ヨーロッパなどの人間は、古代インドの神話のように「水しかない宇宙から卵が生じ、其の卵から神が生まれ、地空天を創造した」といったように、「神聖なもの」としてみなすときと(多くの社会において、水は汚れを清めるのに使われている)、アフリカのアザンデ族や北アメリカの先住民たちのように、「水は初め誰かに秘匿されていたが、それを奸計にとって盗み出した」として、「とっても高級」な(premiumの語源は戦利品)ものだという思想と、ノアの方舟の伝説のように、人間を襲う、しかし人が敵わなかった恐ろしいものとして考えるとき、水を恐れたと言われる。

イギリスでは、魔女容疑をかけられた人は水に投げ込まれ、浮かべば有罪沈めば無罪とされた。このように、スピリチュアル的なものにも水は大きく関わっており、水への考え方の違いから文化の違いを推測することの有用性が感じられた。

本文では、日本では「共存」しようとしており、西洋では「支配」しようとしていることに文化の違いを感じた。ただどちらにしろ、水を神聖化していることは同じであるようだ。

みたいな感じです。

倒し方其の四(本をできるだけ読みたくない人向け)

あらすじを見よう。そして最初の一ページだけを読み、主人公の名前を確認しよう。ネットなどでその物語を調べ、大体の物語の枠組みを掴んだら、

私はこの本を読み切ることができなかった。ただ読書感想文を書かないといけないため、私はできる範囲でこの文章について語ろう。

この文章は、こういう内容だと予想できる。

世間一般では、こういう話題の時はこういうストーリーが展開されることが多い。

この文章はもしかしたらこういう内容なのかも知れない。

この作者はこういう文章を書くことが多いので、今回もこういうようなストーリーであることを願う。

作者の作風については、教科書に大体書いてあります。みてみてください。wikipediaかも

また、

私はこの本をこういう内容だと予想した。このように、本を読む前に題名とあらすじだけをみて本の内容を想像するのも本の楽しみ方の一つとしては良いのかも知れない。

作文を書くまでに本を読むことは叶わなかったが、是非とも読んでみたいと思った。

と終わらせると良いでしょう。

倒し方其の五(真面目な方向け)

教師に怒られたくない人向け。無難に終わらせましょう。わたしはこのやり方が得意ではないので、他のサイトを参考にすることをお勧めします。一応例を挙げておきます

倒し方其の六(ふざける)

ユーモアあふれる先生であることを願いましょう。

どうして担任はこのようなことをするのだろう。

読書感想文の必要性とはなんだろう。本当に必要なのだろうか。

私はこの文章を面白いと思わなかった。名作と言われるこの文章を面白いと思わないということは、つまり私の感性は逸脱しているのだろう。だから、この文章を読んで私が思ったことを挙げてゆく。

まず読書感想文を書くという行為について考えてみよう。読書感想文を書く行為の有用性は、本の理解を促す、表現力を高める、人間性を高める、自己満足感を得るなどと言われている。

この4点について考えてみよう。本の理解を促すという点については、本の理解法は人によってさまざまであり、読書感想文を書くことが一概に良いとは言えない。

表現力を高めるという点についてだが、たしかに有用であることは否定できない。だが、其の表現力は本当に必要であろうか。会話内での表現力と文章内での表現力は比例するとかいう者もいるが、それならば、会話の中で表現力を育むのでも良いのではないか。

人間性を高めるという点については、高い人間性とはなんなのかと考えると良い。人間性とは誰が決めたのか。どうして人間性が高まるなどと考えられるのか。勝手に決めつけないで欲しいものである。

自己満足感を得るという点については、確かにこういう文章を書くことが好きな人ならば、そうなのであろう。ただ、私のように髪の上にペンを走らせることに喜びを感じることができない人種も存在するのは事実であるため、書くことを強制するべきではないと考える。今は多様性の時代であり、読書感想文を書かない人があっても良いのであろう。

少なくとも、私は読書感想文を生徒全員に強制するという教育法は間違っていると思う。

そして、ある程度書いてマスが少なくなったら、

私はこの文章の感想を示そうと思ってはいたが、語りたいことを語ったら残りの文字数が少なくなってしまったようだ。残念だが、私の感想を書くのは諦めよう。

感想を書くことはできなかったが、読書感想文を書く目的は果たせたようだ。この文章を読む方は、安心して私に好成績をつけて欲しい。

この作文の文字数を設定した人は、私に感想を書かせたくなかったようだ。私はそれを是非とも享受しようと思う。

などと書くと良いです。

Uncyclopedia

↑このサイトとかが有用です。内容は全然正しくないのでそのまま書くのはやめましょう。

やりすぎると怒られます。程々にしましょう。私は責任を取りません。

イベントの後に来る振り返りシート的なやつの倒し方

イベントの内容を覚えている場合

読書感想文と同じことをする。イベントを物語だと捉えよう。

イベントの内容を覚えていない場合

イベントが終わった後は、楽しかったことは覚えているが、具体的に何が楽しかったかは覚えていないものである。そんなときは、

はっきりと今回のイベントの内容は覚えていないが、〇〇だったという感情だけは覚えている。次回もこのように感情が内容よりはっきりと意識に根付くように楽しくイベントを味わいたい。

と書いておくと評価が上がる。

たいてい、イベントのパンフレットを見て、今度やる時はこういう内容もやってみたいなと思ったみたいなことを書いておくといい感じになる。

その他授業の振り返りシートなどの倒し方

単元を終えてみたいなやつです。

そこに読書感想文的な感じにするのもよし、学習内容を振り返るのもよし、授業に対する感謝や文句や愚痴を書くのもよし、随筆を真似するのもよし、いい感じに詩を作って自分で干渉するのもよしです。

とりあえず埋めれば点数は入ります。一応埋めときましょう。

読んでくれてありがとうございました。課題を終えるのはだるいものです。昔の偉人(偉そうにしてる人)だって意外と課題とかは提出したりしているのかも知れませんね。

小泉構文とかのように変なところを見習うのではなく、そういうところも見習ってあげましょう。(なぜか上から目線)

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